TEDDY MARKET

2026/05/21 19:25

おしゃれは文化資本


学生時代わたしは、京都の大学に在籍していたが、碌に勉強もせず、バイトと遊びに日々明け暮れていた。街の古着屋でバイトして、遊び仲間はもっぱらその街のアパレル店で働く同世代の友人たちや先輩たちばかりだった(なかなか大学に顔を出さないので学内の友人が殆どいなかったために)。

18,19の若い女子大生だったが、わたしは、あの頃の京都の一角のアパレル業界という小さな社会に守られていたように思う。それは、ジェンダーバイアスだったり、女だからというだけで軽んじられたり、女体として品定めされるような、若い女であれば誰しもが経験するであろう社会の地獄。もちろん完璧にではないけれど、比較的そういうものに晒されずに若い時代を過ごせた気がしている。

たとえば、出会いの舞台としてマッチングアプリが主流となり始めたときに、例に漏れず何人かの異性に会ったことがある。普段なら出会うことのない、ファッションとは距離があるような、全くの異業種の男性の、悪意ない自然な女性蔑視に何度かギョッとさせられた。

それで、わたしは、ファッションを大きな共通項として繋がっていた環境に、随分と守られてきたのではないかと、はたと気がついたのだった。

そこには、もしかすると「文化資本」の違いがあるのかもしれない。わたしたちは、ファッションを通して、男と女を区別するようなジェンダーの縛りで人を測るよりも、もっとおもしろいと思える指標を手に入れた。

ファッションというカルチャーの中で、互いの身につけてきたセンスや知識、美的感覚のような文化資本を使って、相手を評価していく。この文化資本が共有された界隈において、他人を見るときに「男であるか、女であるか」よりも、「おしゃれか、おしゃれじゃないか」が1番に重要視される。良くも悪くもおしゃれ至上主義なのだ。

学生時代の後輩の男の子で、今現在、艶々の手入れされたロングヘアに、丁寧に施したメイク、すっかり見目麗しいインフルエンサーになり、アパレル業界でも大活躍している友人がいる。彼を不自然に思う人はわたしたちの周囲にはいないように見える。性自認や男らしいのか女らしいのかなんかよりも、我々が気になるのはおしゃれかどうか、なのだ。独自のスタイルを発信し続ける彼は、おしゃれでかっこいい。だから、男か女か、どういったジェンダーなのか、なんてもはやどうだっていいし、話題にもならない。

話は少し変わって、一般的に社会では、女性は見られて評価される存在で、男性は見て評価する存在であると、じんわりと蔓延している空気があるだろう。それをフェミニズムやジェンダーの領域では問題視されていて、「客体化される」とか「主体性を取り戻す」といったふうに語られる。

一方、ファッションの世界では、全ての人が見られる対象であり見せる主体なのだ。わたしたちは、ファッションを使ってこと細かに、他人からどのように見られるか、どのように見せるか、を実践していく。男性は特に、「見られて評価される存在」であると気が付かない人は多いが、ファッションを通して男性は自分が他人から「見られて評価される存在」であることを意識する。そして女性は「勝手に見られる」という客体化から、ファッションを通して、「どのように見せるか」を自らコントロールしていく。

男女のどちらも、自分は「見られて評価される存在」であり、また「見せる存在」だと身をもって知っている。だから視線による男女差が弱まる。性別がフラットになる。

そんな無意識の心理から、この界隈では男女の友情が成立しやすいように思う。相手を「異性」として見る前に、「どんなファッションなのか」「どんなカルチャー文脈があるのか」みたいに、性差においてフラットに関係をつくる癖がついているのだ。それは、安心感でもあり、信頼の土台でもある。

ここまで書いてきたけれど、わたしはとくにファッション賛美がしたいわけではない(おしゃれ至上主義というのも、ちょっぴり品がないような気がしないでもない)。こういうジェンダーフラットな環境は、ファッション業界の話だけではなく、いろんなカルチャーの場で起きうるのではないかと思う。例えば、音楽やアートや文学。各々の表現があり、男女である以上に評価する軸がある。そういった文化資本の共有が起きる場所ではジェンダーは自然とフラットになっていくのではないかと思っている。

そういった、文化資本が土台にある場所では、属性よりも「何を積み上げてきたか」が見られるから。

あの頃、わたしは若い女であったけれど、それでも致命傷を負わずに済んだのは、社会の押し付けるジェンダーロールを内在化せずに済んだのは、男か女か、よりも、「どう在るか」を尊重される文化の中にいたからだと思う。カルチャーに、ジェンダーをフラットにしていく効能があるとしたら、ままならない社会の中に、小さな避難所があるようでホッとする。




Writer : Hazuki SUEISHI 

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