2026/05/21 19:28
制約こそファッションだ
─「自分らしさ」だけじゃつまらない
制約こそファッションだ。
ファッションについて言及されるとき、「自分が好きなものを着たらいい!」みたいなかんじで「自分らしさ」「個性」こそがおしゃれの楽しみ方の正解だとする風潮があるけれど。
わたしは、完全な自由や自分が好き、だけのファッションはおもしろくない気がしてしまう。
例えば、お洋服そのものによる制約。ファッション老害のような気がしないでもないが、昨今のファッションがいささか退屈なのは、ファストファッション、ウルトラファストファッションの台頭にある気がしてならない。安価な服を大量に買って、似合わなければその場で破棄し、次のシーズンが来れば丸ごと買い換える。そこには工夫が生まれない。
ファストファッションがこんなにも流通する以前は、5年10年と着られるお洋服を丁寧に選び、シーズンや流行に合わせて自分なりの着方を模索する。はたまた、背伸びして買ってしまった高価なお洋服。少々着づらい気もするけれど、気に入って悩んで購入したその服を、どうにかうまく似合うように、自分を成長させてみたり、合わせ方を工夫する。そんな工夫が「着こなす」と「着られる」の違いかもしれない。
使い捨ての安価な服では、「着こなす」工夫をする前に買い替えてしまうほうがよっぽど楽だ。

わたしの生業としている古着についてもそうだ。古着のお洋服は今のトレンドやサイズ感において、いつも完璧ではない。それをどんな風に、現代のスタイルに、今の気分に、マッチさせていくか考えるのも、ひとつの醍醐味だ。
それから制服。ファッションの話になると嫌悪されがちだけれど、これらだってファッションをよりおもしろくする制約だ。
女子高生の制服ルックは、時代によって多種多様だ。ある時はミニスカートにルーズソックスが流行り、ある時にはマキシ丈まで伸ばしたスカートにリュックのような青文字系スタイルが流行った。制服という制約の中で、彼女たちは自分たちらしさをどこで出すか、どのルールを保持してどのルールを破るかを楽しんだ。
結果として制服という制約の中で生まれた独自のスタイルは、「なんちゃって制服」などと言って、制服を求められない人も、敢えて制服に似た出立ちで遊びに出かけるカルチャーを生み出したわけだ。
ファッションの制約には、ほかにもTPOやドレスコードなんてものもある。結婚式やフォーマルなパーティーのルールなど。煩わしくも感じるが、それらの制約は自分と周囲を繋ぐ関係性の役割も担っている。
ファッションは他者との関係をデザインすることだってできる。制約の中のどの部分で自分らしさを滲ませるかや、突飛な例なら制約を敢えて破ることでその場への反骨を示すことだったり。
わたしは、仲のいい友人と出かけるときに、なんとなくその友人の雰囲気に寄せたスタイルを身に纏う。今日あの子はどんなお洋服でくるかな?と想像しながら、選ぶ時間は相手への尊重だ。そんな想いがその日のファッションから滲むとき、同じ空気を纏うとき、わたしたちの距離は少し縮まってより親密になる。
制約を設けることで、ファッションはよりおもしろくなると同時に、社会との関係性をより豊かにするのだ。
スポーツだって、ルールがあるからおもしろい。ルールがあるからその中で団結や結束が生まれる。
自分らしさや自由を叫ぶのもファッションだが、制約の中で社会との関係性を見つめながら微調整していくこともまたファッションのおもしろさだ。
Writer : Hazuki SUEISHI
TEDDY MARKET
