2026/05/21 19:29
なぜ男はスカートを履けないのか
女はスカートもパンツスタイルも選べるのが一般的だ。だけど、男のスカートスタイルはなぜ一般的に普及しないのか。これだけ多様性やファッションの自由が許容されつつあるこの社会でそれは、男女の不均衡で不思議なものに思える。
女は自由に選べて、男はパンツスタイルしか許されないってなんかずるくない?
流行と大衆化の心理
男性のスカートスタイルへの不寛容を考えるために、まずはファッションの流行と大衆化への流れを知る必要がありそうだ。
ファッションのスタイルが、「誰にでも一般的に着られるものだ」と定着するとき、スタイルがありその裏付けをする思想があり、最初に知識層や感度の高い層や評論家がその文脈を味わい、賞賛し、着用する。それらがメディアやSNSを通じて広がる過程として、難しい理屈は削ぎ落とされ「なんだか今の気分にあう、新しい形」として大衆に届く。そのとき同時に、そのスタイルの根底に込められた思想は、潜在意識的に社会に広がる。
例えば、最近TV番組の中で、今の若者ファッションとして「エプロン」が流行していると紹介されていたみたいだ。
これは実は2026年春夏コレクションとして提案された、miumiuのルックが起点で、このコレクションでエプロンがファッションアイテムとして採用されたのは、女性のケア労働や価値の低い労働の象徴である「エプロン」を、料理や掃除のシーンから解放する意図が込められている。

PRADAとmiumiuのデザイナーを務めるミウッチャ・プラダは、この年のコレクションに関して「女性の仕事、彼女たちの挑戦、逆境、経験について考察したもの。その目に見えない部分に向き合い、対処し、認識し、称賛する」とコメントしている。
流行と大衆化の根底には、このmiumiuのコレクションのように、まずは社会に対する「思想」があることは基本中の基本だ。
男のスカート、女のパンツ
ここで、男性のスカート問題に戻りたい。男性のスカートに対比されるのは、女性のパンツスタイルだ。女性は現代社会で、スカートもパンツも自由に選べるけれど、それはどうしてだろうか。
スタイルが流行して大衆化するには、大きく「実用性」と「思想」の2軸がキーポイントになる。
女性のパンツスタイルは、実用性の観点から第一次世界大戦で殆ど強要されるものになった。その後20年代シャネルが、女性向けのジャージーパンツを提案。60年代にはイヴ・サンローランが、女性の為に仕立てられたタキシードスーツとして「ル・スモーキング」を発表。
高級レストランでパンツスタイルの女性は入店拒否されるこの時代、シャネルやイヴ・サンローランは、パンツスタイルをある種の社会革命として、男女平等の思想を提案する「思想」だった。
女性のパンツスタイルは、当時を生きたい女性たちのより快適に暮らしたいという「実用性」の欲求と、女性の解放を訴える「思想」がぴったりと合致したスタイルなのだ。
一方で、メンズのスカートスタイルも、数々のデザイナーたちがコレクションで提案してきたものだ。古くは80年代、ジャンポール・ゴルチエが初めてランウェイにメンズスカートを登場させた。このルックは男らしさへの挑戦という「思想」だった。

けれど、女性のパンツスタイルと比べて、男性のスカートスタイルの普及に欠けるのは圧倒的な「実用性」の問題だ。動きやすく快活なパンツを脱ぎ捨てて、無防備で動きにくいスカートに着替えるには、それを凌駕する大きな「思想」とそれへの強い切望が必要なのだ。
不便を愛した男たち
つまり男性は「実用性」がないとされるものを選ばないという合理的な判断をしているだけ、と考えるかもしれない。けれど、男性はファッションにおいて「実用性」を度外視したスタイルを「思想」のパワーによって愛してきた歴史も存在している。
例えば、左右の膝をベルトで繋いだボンテージパンツ。このベルトは動きを制限し、圧倒的に「実用性」を無視したが、その拘束こそが当時の体制による束縛への皮肉であり、その動きにくさこそが反骨の「思想」だった。
また、腰パンスタイルは、ずり落ちることを気にしなくてはいけないし、動きにくく「実用性」があるとは思えない。これは収容のためにベルトを剥奪された囚人のスタイルをルーツに持っており、当時のエリート層や富裕層への反骨の性質を示す「思想」があった。
大きく実用性に欠けたとしても、わたしたちは大きな押さえ難い思想を持つとき、そのスタイルを取り入れることができるのだ。
民族衣装の敗北
男性のスカートの話をするときに、よく挙げられるのがスコットランドのキルトや、フィジーのスル、日本の袴、といった民族衣装だ。これらはその土地の気候や生き方の文化に根差した極めて豊かなスタイルだった。
なぜこれらのスタイルが、現代社会のファッションとして取り入れられ難いのか。元来男性は、文化によってはスカート(もしくはそのような構造の服)を着てきたにも関わらず、スカートスタイルはこうまでして男性社会で禁忌されるのか。
それは産業革命と戦争による功罪だ。「機械に巻き込まれないこと」「泥の中で匍匐前進ができること」これらの「近代的な男らしさ」が、男性からひらひらした布を奪った。
この時代、男性はファッションから装飾を捨てて、スーツのような地味な服を着るようになり、これは『男性の大きな放棄(The Great Masculine Renunciation)』と呼ばれる。
男性のパンツスタイルこそが、労働者であり兵士であると定義する「男らしさ」の基本スペックとして埋め込まれたのだ。
マジョリティのパンツスタイル
女性がスカートを脱ぎ捨てて、パンツスタイルを普及させてきたのは、差別されてきた性差において、男性的なマジョリティ側の特権を取得するための道具でもあった。
対して、マジョリティである男性がパンツを脱ぎ捨てて、スカートを履くとき、それは特権的な男性性を脱ぎ捨てることも意味している。でもそれは同時に、男性を苦しめる「男らしさ」から解放させることかもしれない。
だが、現状は、男性がスカートを履くことの多くは、トランス女性に紐付けられ既存の男性社会から追放され、女性性に紐付けられる。
男のスカート
女性は「実用性」と「思想」を武器に、パンツスタイルを選べる自由を勝ち取った。いつか、男性も「男らしさの呪縛」や「家父長制による苦しみ」から解放されたいと強く願うとき、街でひらひらとスカートをたなびかせ闊歩する男性たちを当たり前の光景として見るようになるのだろうか。
Writer : Hazuki SUEISHI
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