2026/05/21 19:34
音楽性の違いで別れた男
あの彼となんで別れたの?と、軽く聞かれたとき、たまにわたしは「音楽性の違いだね」と神妙に答える。陳腐な冗談、バカみたいな話だけど、あながちそうだと思っている。
彼は、宇多田ヒカルと小袋成彬の大ファンだった。わたしも、好きだ。素敵なアーティストだと思う。一方でわたしが当時熱中していたのは、鎮座ドープネスやSANABAGUNのユーモラスなリリックたち。
熱中する音楽から覗くのは、世界の見方だ。
宇多田ヒカルは、感情を極限まで美しく、悲哀的にドラマチックに歌い上げる天才だと思う。そんな宇多田がプロデュースを手掛けた小袋成彬も然り、メロウでムーディーだ。
鎮座ドープネスは、日本のトップラッパーの1人で、ナチュラルな日常、生活感をユーモラスに刻む。すでに解散してしまったSANANAGUNはJAZZの影響を色濃く残すHIPHOPチームで、音楽業界の皮肉をJAZZのグルーヴに乗せ下品な言葉で蹴り飛ばす。
彼は情緒的な男だった。
ドラマで言うなら、失恋した直後に大粒の雨の中で傘もささずに項垂れるシーンで涙できるタイプの男だ。
素直でまっすぐなのだと思う。
皮肉屋でどこか穿っているわたしは、大失恋をした帰りに牛丼屋に寄って何食わぬ顔で牛丼を貪ったり、翌日に同僚と他愛無い会話で笑うようなシーンに泣けてしまう。
どんなに酷いことがあったって、私たちの生活は続いていく。打ちひしがれる暇などなく、朝は来る。大失恋する日は晴天だ。悲しみを抱えたまま、それでも適当な冗談を言って笑いながら、なんとか生きていく姿がリアルだと思ってしまう。
悲しみに浸る時間があるとしたら、それはとても贅沢なことだろうな。
だからわたしは、日常をユーモアで包んでしまう音楽が好きだ。世の中の理不尽を皮肉って笑う姿勢が好きだ。
そんなわけで、わたしたちは多分、音楽性の違いで破局したのだと思う。いや、世界の見え方がもしかすると少しだけ違っていたのかもしれない。
P.S
わたしはこのエッセイを書きながら、娘と相撲を取り、動いたせいでひと口嘔吐して、そのついでに洗濯機を回した。実に現実だ。

Writer : Hazuki SUEISHI
TEDDY MARKET
