2026/05/21 19:37
祖母と母
わたしの祖母は、性格がキツくて、毒っ気があって、子どもの相手はそれほど得意じゃなくて、パチンコに行き飲み屋に出掛ける、ちょっと不良なおばあちゃんだった。だけど、小さいころはハイカラな洋食店へドリアやエビフライの乗った定食を食べに連れて行ってくれて、輸入品のおしゃれな缶に入ったキャンディが好きで、素敵な缶をわたしにくれた。親戚が集まると決まって、ピザを取ってくれて、わたしはいつもコーンピザをお願いした。ピシャリと厳しい時があるから2人きりになるのはちょっぴり苦手で、だけどおばあちゃんの煮る黒豆とおでんとお雑煮は大好きだった。高校生の頃、学校帰りに友人と駅で駄弁っていると、時折飲みに繰り出すおばあちゃんに出くわして、「ジュースでも飲みなさい」と1000円だか2000円だかをわたしに握らせて、トコトコと夜の街へ消えて行った。
母は最近、祖母のはなしをする。「おばあちゃん、だいぶボケてきた。スーパーで何度もトマトを買おうとしていたよ。」「あんなに刺々していたのに、すっかり可愛らしいおばあちゃんになっちゃったね。」と笑う。わたしは、その話の中に、母が娘である面影や祖母が母であった面影を感じる。
祖母にも母にも、わたしと同じように子ども時代があって、誰かに甘えた記憶があって、青春時代があり、青年期があり、母になり、祖母になり、そして老いていく。それぞれに人生があったことに気付かされる。
わたしたちはつい、役割だけにフォーカスを当ててしまうけれど、母も祖母も、役割の外側にずっと広く、ひとつの人生を抱えてきたことは紛れもない事実だ。
今、わたしは母になった。娘からするときっとわたしはまだ、「母」という生き物なのだろう。でも、わたしには母という存在である以外の人生がたくさんあった。これからもあるだろう。
わたしは母が老いていくことを娘として見守るだろう。そしてわたしも老いていく。
祖母や母、わたし、そして娘にも、わたしたちが持たされてきた役割の外に、1人の女として、1人の人間として人生があったこと。それは不思議なようで、当然で、当然なようで、不思議なものだ。わたしが知り得なかった、それぞれの人生に時折、想いを馳せる。

Writer : Hazuki SUEISHI
TEDDY MARKET
